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今夜の番組チェック




  


先日、ブダペストの某コチマ(ハンガリー語で安飲み屋のことですが)でのこと‥

町で友人と日本食レストランで会食し、しこたま飲み食いをした後

友人達と上機嫌で別れの挨拶を交わし合い、さあてとばかりに‥いつもの私の悪いクセ。

ほろ酔いで気分でフラフラと彷徨しながら
、さて〆のもう一杯とばかりに
気がついてみれば、行きつけの地元ショイマールのコチマの入り口。

薄暗い階段を下りてカウンターに腰掛けると
いつもどおりの、厚化粧で不機嫌そうなおネーさんにビールをを注文する

今まで
何回繰り返したんだろうか、こんなこと…こんな空気。

アルコールに蒸れた、むせかえる吐息
鉛の詰まった頭蓋骨、粘つく灰色の心臓、未来に繋がらない閃き。

飽き飽きするほど疲労した一日の終わり。

いつもの、お決まりのパターン。

汗とタバコのヤニにねちゃつくカウンターに片肘をつきながら
壁に直接セロハンテープで貼られた、煤ぼけたヌードピンナップの女の子の
ボディラインを酔った目でなぞっていると‥

またまた聞こえてきました。

私の大嫌いな、ホントによくある会話

「あいつは中国人だろ、こんな飲み屋に一人で、めずらしいじゃあネーか、ボソボソ‥云々」。

全身の血液が脊髄を通り抜け、一気に沸騰して後頭部に昇り上がるようないつもの感覚。

一体全体どんな卑しいツラをした奴らだろう、と振り向く私。

ペンキか漆喰が飛び散った上着を着た、年の頃30前後の髭面二人組…。

…は私の怒りに濁った赤目がちの視線を曖昧に逸らす。

しばらくたって、私はトイレに立ち上がる
(ホント、トイレがやたらに近い今日この頃です)。

例の二人の相方がすれ違いざまに私にささやく

「チンチャンチュン、クックックク(ヤツらのこらえた笑い声)」。

(※ チンチャンチュン=ハンガリーにおけるアジア人に対する侮蔑用語)

私の全体液は再び超高速で沸点に達し

「バッサメ、ブドシュコミュニスタ!」
(くそったれの臭え共産主義者メ!)

と喚き切り返す、私、ニッポン男児として男らしく…。

周囲の視線が集まって一瞬の静寂がコチマを支配する。

揺らめくタバコの煙、ぎらつく周囲の視線視線、臨戦状態発生

しかし大半の場合

我敵は“叱られた子供のように”すごすごと引き上げ
私の「蛮勇伝」はこともなく幕切れとなるのです。

いかがですか?読者の皆様

自らの民族的プライドを守る為、敢然と立ち上がる私の姿にさぞ喝采を送られた…?

しかしその実は、武勇伝の主人公、私自身はと言えば

その後いつものやりきれない自己嫌悪感におそわれ

ナンカ自分自身がが情けなくって情けなくって

更に立て続け、ビールの大グラスをふたつほどあおっては
自己の記憶と意識を混濁させようと試みるのです。

「言葉の暴力」

それは相手を手痛く傷つけると同時に、自分もその刃によって同様に傷つくようです。

所変わって

ショイマールの我が家、外はお天気燦々

久しぶりの休日。

それでも私は

目を覚ますと同時に
薄暗い部屋に閉じこもってコンピューターを起動。

いつもの起動音(サウンド)

今日もインターネットに狂う私。

文字道理、日の出からお月様が顔を出すまで日本情報チェックのしまくり。

最近、やたらと私の興味を引く「小林よしのり」に対する議論、肯定論否定論の数々。

最初におことわりすると、私個人は言論人作家としての「小林よしのり」を
全く評価していないどころか、彼の著作に対し著しい嫌悪感を抱いています。

しかし今回は私の彼に対する個人的意見はチョット置いておいて

インターネット上に繰り広げられる様々な議論…。

「なんか“反小林よしのり”人たちって
議論にならないっていうか理論的な人っていないんだよね。
サヨク的っていうか、早い話バカなんじゃあないだろうか …云々」。

それに対し

「そんな考え方しかできないお前こそがクズで大バカなんだ
もう少し頭を使え、この低脳な右翼ヤローめ!」 。

と、まあこんな調子での応戦。

ちなみに上記の文章は、ある書き込みを元に私が創作したものですので
あくまで、どちらかサイドの特定個人を攻撃するべき性質のものではありませんが

実際、こんな調子の罵詈雑言、むき出しの悪意、憎悪。

結構見受けられるのですよ。

「言葉の暴力」… 。

つくづく考えさせられてしまった。

日本中から寄せられた意見による膨大な議論の中
どちらサイドに限らず知的且つ良心的な論者は数多く存在し

時には議論内容が相当なレベルに達する。

すなわち「人としての正しい生き方は…?云々」等の
哲学的な議論にまで発展することがあるのに…。

いつも話の腰を折り、憎悪という最後っ屁をかましては立ち去る暴言者達。

エラソーなことを宣いながらも、私だって五十歩百歩。

でも、やっぱり「悪いことは悪い」

私も含む巷の暴言者に対し反省を促したく、今回のこの文章を書いています。

そして、今までの私の暴言に傷つけられた全ての人々に心から「ゴメンナサイ」。

昔、ガンジーの伝記映画「ガンジー」を見てヒーヒー泣いたのにね。

本当の「非暴力」は本当に勇気ある人にしか実行でいないと、知ってはいるのだが。

皆怖いから暴力を振るうんですよね。

「非暴力、そんなのは間抜けなユートピアだ
実際に銃口を突きつけられてもそんなことが言えるのか」

ナンテ、結構巷では聞く反論なんですが

それじゃあ、私はお聞きしたい

「貴方は実際に銃口を突きつけられた経験がおありで
その実体験に基づいて今の言葉(思想)を導き出されたのか?」と…。

自慢にもなりゃあしないが、私はそんな実体験をしている。

恐怖感、その後自らの安全を確認出来て始めて屈辱感と憎悪が追っかけてくる。

ひらりと身をかわして悪党の顎に一発後ろ回し蹴りをぶち込む、ナンテ
そんなのの方が遙かに「間抜けなユートピア」なんですよ、我々一般人にとっては…。

結論、暴力は絶対に回避すべきで、それに対する努力は可能な限りなされるべきだ。

それでも、回避しきれない時は

「お互いに憎み合って最後の一人になるまで殺し合うしかないでしょう」ですか?
※ドストエフスキー著「カラマーゾフの兄弟」でのアリョーシャの言葉。

まあ充分に知的になってしまった我々人類は、そこまで行く前に
予定調和的な曖昧な妥協点を互いに見つけ出すことでしょうが

膨大な憎悪の集積と取り返しようのない犠牲の上に?

しかし実際問題として、再びそんな愚考は繰り返されるのでしょうか?

残念ながら、人類が「人種的優越感と劣等感」という蛮性を払拭しきれない限りは…。

しかし私は人類の更なる叡智を信じています。

アホといわれようとノー天気と言われようと。

実は、私の言葉の暴力(原因は彼らの側にあるにはしても)に対し
動物的暴力で応戦しようと試みるハンガリー人は非常に希なのです。

そんな実体験の結果、私はやはりハンガリーとハンガリー人に対し
あるいは一方的ではあるかもしれないけれど
愛情の感じ、尊敬の念をも抱かざるを得ないのです。

「知的」な人々

私の最上級ほめ言葉なんですが

だって「頭が良い」というのはどこか天性によるもの
すなわち遺伝だとかの問題が関わってくるという感が強いけど

知識というのはやはり個人の「努力の賜」と私は解釈するからです。

勿論私の言う「知識」の範疇は

「英単語をどれだけ数多く暗記しているか… 」等々
というのとは完全に=では結ばれないのだけど。

「言葉」

人類の叡智であり暴力でもありえるもの。

それでは今回はこのくらいで、 読者の皆様御機嫌よろしく…。


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