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こんにちは、読者の皆様。

4月8日に「ふたつのくに」を更新して
人種差別に関する私の拙文を掲載したのですが
それに対し数通のありがたい御意見のメール
を頂戴しました。

今回はその頂いたメールの一つをここに掲載し
私から、その方に返信をすると言う形式をとります。

ちなみにメールを下さった方は、私の20数年来の友人で
膝をつき合わせて、本音で語り合える数少ない友人の一人でもあります。

ゆえに、本来は私も彼に対し、敬語を使って返信する間柄ではないし
彼の文章が全くの口語文で
書かれているのも
元々が公表するために書かれたという性質の文章ではなく
あくまで私という一友人に対する個人的なメールであるが為です。

或いは、ややぶっきらぼうにも感じる彼の文章表現にしても、長年の友人間では
極めて自然なことでこそあれ(当たり前のことですが)けして悪意や無教養の現れではありません。

それに対し、私があくまでも敬語を使って本文を書くのは、この文章が彼個人に対する
私からの個人的な返信だけという意味合いのものではなく、あくまで“彼的な”
考え方に賛同されるであろう何人かの読者の皆様を意識してのことです。

メール掲載の件は勿論御本人の了承はとってありますし、実名を公表してもかまわないとの御返事も
メールにて頂戴したのですが、あえて実名を公表する意味合いも、私には見いだす事が出来なかったので
実名の掲載は割愛させていただきましたが、匿名希望ということでは、けしてありません。


実は今小林よしのりの台湾論を読んでいる。
まだ全部読んだわけではないのだが。

この最初に台湾になくてはならない人物「李登輝」(りとうき)氏が登場する。

この本 によると彼は素晴らしい政治家であり、私欲の全くない「公」だけを考えるリーダー だそうだ。

しかも、聡明でちょっとした勇気を持ち合わせたリーダーらしい。

現在彼は前総統となり、現在は陳水扁(ちんすいへん)氏が総統となっている。

「李登輝」氏は京都大学農学部出身、しかも徴兵制度により戦時中は高射砲兵として戦火にいたそうだ。

しかるのち、台湾に戻り国民党に入り、蒋介石の薦めにより国務大臣になった。

のちに総統となるわけだが、しかしここまでに至る業績やあの台湾地震が起きたときの敏速な対応
すぐさま軍隊に出動命令をだしたらしいが、日本の神戸大震災のときの対応の遅さはどうだったろう

実は地震が起きてすぐに自衛隊は準備をしていたらしいが、国からの命令が出なかった為に
結局実際に動き出したのはその日の午後になってかららしい。

もっと素早い指示を出していればより多くの人名を救えただ ろうに
あまりにもリーダーシップのなさ、責任のなさ、ただ単に報道を見て
ああ大 変な事になっていると絵空事のように見ていただけではないか。

現在の日本の政治家は中国の顔色だけをみながらへっぴり腰のばかな政治家ばかりではないか。

実は「李登輝」氏は現在来日している。

これも実は中国が圧力をかけて彼を来日させないようにビザの発給をするなと日本側に申し出ていた。

もしするなら日本側の中国大使 館員の撤退を示唆していた。

このおどしに日本の外交河野氏はびびってビザの発給をしぶっていた。

彼の外交のヘボぶりは有名で海外サラリーマンの酒の肴になっている らしい。

が、今回は森総理が最後の仕事として「李登輝」へのビザ発給を条件つきで 認めたらしい。

「李登輝」氏は今回表向きは持病の心臓病の治療の為といっているが
多分目的は台湾民主主義国家の確立の為と思われる。

当然これに対し中国がだまって見過ごすはずがない。

中国にとって台湾は非常においしい存在で半導体を始めビジネス経済ともに
なくてはならないドル箱であることは間違いないようだ。

そのために今回の「李登輝」氏の来日に対し内外干渉もはなはだしく敏感にその動向を見守ってい るわけだ。

「李登輝」は総統の座を追われたのも実は中国の圧力だと言われている。

まあしかし今回どうにか中国の圧力を後にし、なんとかビザを発給したのは
森総理の数少ない貢献の一つだろう。

しかし「李登輝」氏にしろ現在の総統にしろ、声を大に独立を宣言すると
多分中国と戦争になるのは必至と思われる。

ある意味民主主義国家台湾の歴史的状況を目の前にして「李登輝」氏からは目を離せないだろう。

「李 登輝」氏の台湾への貢献、また日本への貢献は数知れないものがあるのだが
それを 言い出すと大変なので、あえて言わないが
悲しい事にこういう強いリーダーシップを持った人間は日本にはいない。

台湾の人々は今でも言うらしい。
日本精神(リップ ンチェンシン)

日本は台湾を統治したときに何をしたか
おそらく日本の教育者は日 本人はとんでもないことをしたといっているのではないかと…
しかし事実は違うらしい、日本軍が統治したときに日本人は最低不可欠な勉強や文化を教えたらしい。

しかしそれも完全でない状態で戦後日本兵は引き上げた時に50〜60 万人の外省人が入ってきて
およそ模範とはいがたいひどい事をやったそうだ。

その直後あの忌まわしい2.28事件が始まり虐殺が横行した。

そんなときに彼らは日本精神 (リップンチェンシン)を思いだしその苦難に耐えたそうだ。

これは小林氏が李登輝氏にインタビューをしたときに話された事らしいが

まだまだ話は続くようなのだが、もちろんこれら全てを信じるわけではないのだが

小林氏がこういう問題を提起し
我々に身近に投げかけてくれるのは非常にありがたいと思っている。

わしには長田氏のように彼を一概に否定する事は出来ない。

事実は事実として認め正しい事を知りたいと思う欲求をかりたててくれたことだけでも
彼の存在の意味はあるような気がする。

ではまた。

ここから私(管理人村井)の文章になりますが…まずは「メールをありがとう」。

このメールにある、小林よしのりについての意見なのですが、実は以前も彼と
小林よしのり著「戦争論」について議論を交わしたことがあります。

しかし私は、近作「台湾論」については何も語れません。

その内容を知らないからです。

こちらハンガリーでそれを手に入れるには、近日中に日本に行く予定の友人等に頼めば
不可能なことではありませんが、積極的にそうしたい気持ちも実は相当に希薄です。

結論を先に言ってしまえば、私はこの小林よしのりなる人物が大嫌いです。

その理由は、彼の言論人としての姿勢を著しく軽蔑しているからです。

と、言うのも以前の彼の著書「戦争論」の中で
彼が語った主旨を私は全く評価していません。

子供じみた自惚れ屋、権力者の片棒担ぎ、知ったかぶり、大嘘つき
これが彼に対する私の評価です。

以前嘘をついて、多くの人をだました人間の主義主張を私は知りたくはないし
知ったところで、所詮信じることが出来ません。

妄信的に彼を敬愛する一部の読者はともかくとして

今回は本物、と好意的な姿勢で評価される方も、或いはおられるかもしれない。

誰だって間違いはするのだから、一度の間違いで人を判断するのは良くないと
或いはそう言って弁護される方もおられるかもしれないけど…。

しかし、嘘にも度合いがあります。

極端な例ですが、読者の皆様はオーム真理教を弁護し認めることができますか?

全く罪なき人が苦しめられ

読者の皆様も御存知の通り
現在でもその後遺症のために苦しまれている方々が数多くおられるのです。

全く罪なき人たちが命をも奪われた。

思考力の崩れた教祖の自己満足と妄想のために…。

「オームにも良い人はいるし、教義にも正しいところがある」
なんてことを言える人いますか、被害者の方々に対して…。

あるいは「それとは比較できないよ」と言われる方もおられるかもしれない。

しかし数々の残虐行為の証拠とその証言を突きつけられても
それでも「日本軍の行動は正しかった」

そんなことを戦争被害者の方々に、殺された側に、力説できる人間がいる。

小林よしのり、彼はそれをやったのです。

「戦争論」は、都合のいいように歴史を拾い読みし、事実を歪曲し、
時には捏造し

著者自身の幼児的自己満足のため、或いは己の自惚れを美化、正当化するために
戯言と
虚構で固めた、とるに足らない愚書と私は思っています。

実は、恥ずかしいことに現在そんな事を確信して力説する
私も
以前はこの「戦争論」の主旨に肯定的でした。

というよりもその内容に衝撃を受けたと言っても過言ではありません。

当時の私には、実際「隠された真実」を再発見させてくれたようにも感じられたのです。

そこで私はインターネットでこれらの情報を出来る限り集めました。

当然の事ながら両サイドの意見を出来る限りリサーチしたのです。

結果、あるhp.(http://plaza25.mbn.or.jp/~hinode_kogei)に出会いました。

このhp.の件は、友人が上記掲載のメールの中でもふれていますが

かなり過激な文調で、それに対しては賛否両論分かれるところがあるのでしょうが
私はこのhp.の論旨に反論することが出来ません。

このhp.は「戦争論」の矛盾点、虚構、捏造を徹底的に検証し論破しています。

例えば,便衣兵は裁判抜きで殺戮できると、ある国際戦争条約で明記してあるとか

南京大虐殺は東京裁判のために欧米によって捏造された虚構である。

その証拠として

虐殺証拠写真が全て偽物、当時の欧米のメディアは「南京大虐殺」ついてなんの報道もしていない

なぜならば、全てが東京裁判に間に合わせるために捏造された性質のものだから

故に、証言は全て中国側、欧米側によるもので日本兵からの証言は全くない等々

小林よしのりが主張する「南京大虐殺否定」の論拠は
全てこのhp.によってことごとく論破されています。

日本軍による非道な残虐行為は実際にあった、現在の私はそう認識しています。

認めたくはなかったのですが、正直言って…。

話を続けますが…

愛する家族を、もてあそばれ強姦され、なぶり殺しにされた側、まだ数多くが存命されている
そんな戦争被害者の人たちに誰がこの「戦争論」の購読を薦めることが出来ますか。

どこの国の何人の…そんな問題じゃあないのです。

一部の狂信者の先導によって行われる集団暴力行為(勿論戦争も含む)が
いかに許し難いものであるかは、普通の思考力を持たれる方ならば理解可能だと思うのです。

そんな他の意見なんかはどこ吹く風よ、

それどころか自分のごり押し理論に同調しない人間を「サヨク」と一塊りにして蔑称したり
己の主張に異を唱える者には、自著の中で下卑た似顔絵を描いて侮辱を与える。

挙げ句の果て、反論の書に対しては「そんな本は焼却しろ」なんて
あたかも紀元前の独裁者か、気が狂った教祖のごとき主張を自著で喚きちらす

そんな人間の主張なんか、貴重な時間を費やし読む価値があるのでしょうか。

最近とある友人から日本語の本を数冊送ってもらいました。

その中の有吉佐和子著「複合汚染」と村上春樹著「アンダーグラウンド」
に大きな感銘を受けたのですが。

有吉佐和子著「複合汚染」はおよそ20年ほど前に(おそらく学校の先生に薦められて) 読みました。

再読してみると、ずいぶん読み逃していた部分が多く
或いは読んではいたのですが、理解は出来ていなかったところが多かったのでしょう
再読に関わらずかなり新鮮な印象を得ることができました 。

当時の私は、やはり所詮は16〜17才の世間知らず、生意気盛りでしたから。

今回は新たな発見をすると同時に、有吉さんならではの圧倒的な文章力にグイグイ押されて
登場人物や時代背景に、過ぎ去った時の流れを感じさせられたりはするものの
やはり充分に現代に通用する名著だと否応なく再認識させられたのですが…。

しかし実はもう一つの本

村上春樹さん著する「アンダーグラウンド」には言葉に出来ないような
強烈なインパクトを与えられました。

この本、村上春樹著「アンダーグラウンド」は、すでに御存知の方もおられると思いますが
不幸にも「地下鉄サリン事件」に遭遇された被害者の方々のインタビュー集です。

以前、同友人に薦められて、同著者村上春樹さんによる「ねじまき鳥クロニクル」を読んだのですが

その物語の構築力と文章力に、それなりの印象を得るには得たのですが、なんか“言葉のセンス”が
どうしても私とは合わなかったのでしょうか、後一つしっくり来なかったのです。

なんか「表現過剰なドストエフスキー」みたい、とでも言ったらいいのか…。

それでも「さすが」な箇所も相当に多く、「もう後15〜6年若ければハマったんだけどね」
なんて貸してくれた友人と一杯やりながらに、あいまいな、にわか評論をしたのです。

しかし今回、この 「アンダーグラウンド」を読むことによって、言葉にできないような強烈な感動と
「人間とは、命とは」という根元的な考える“きっかけ”を頂戴しました。

あの“村上春樹”が、被害者の前に正座して

膝の上で固く握りしめた拳は、時には自らの皮膚をも破りそうになるくらい強く握りしめて

しかし相手にそれを気取られないようにするために、出来る限り“普通”の表情をして

只淡々と聞いている

苦悩、様々な声、人生…。

あの文章闊達な、文章の達人と賞賛される村上春樹が、出来る限りの装飾性を
まるで生身の肉体を削るように取り去り、被害者の苦悩を、細心の注意を払って聞いている。

まるで自己に真摯な精神科医のように、まるで神の声を待つ聖職者のように …。

上記の情景描写はあくまでも私がこの名著から感じ取った(私の拙い)イメージなのですが

この本から漂ってくる決然とした透明な意識、精神的清潔感、正義感を私の幼い文章力で解説するには
どうしても無理がある、がゆえに、こんな曖昧な情景描写でしか表現をすることを試みるのですが。

誇張抜きで、時には我嗚咽の涙を止めることが出来ませんでした。

加害者側報道ばかりがマスメディアに氾濫し、オームに対する攻撃、批判、分析、或いは弁護、擁護。

一方的議論ばかりが
先行して、ともすれば忘れられがちになっていた被害者サイド。

当たり前のことなんですが、私や貴方、父や母や子供と何ら変わりない人間が
たまたまそこに居合わせただけで…。

泣いたり笑ったり愛したり憎んだり、恋をしたり、母になり父になり、そんなどこにでもいる
私や貴方と何ら変わりがない当たり前の人生をおくる人々が…。

ほんの一瞬の偶然で、そこに偶然居合わせただけで、命を奪われ
又ある被害者の方は、現在も続く身体的、精神的苦痛を強いられたのです。

この名著をまだ
読んでおられない方は御一読を、とにかく無条件でお薦めします。

そして私にこの感動を与えてくれた著者と、それをプレゼントしてくれた友人に対しても
又無条件の感謝です、「本当にありがとう」。

私はこの本「アンダーグラウンド」に表現者のあるべき姿を見つけることが出来ます。

言論者、表現者、芸術家はかくありたいと願うのです。

しかし同業界の言論人、表現者でありながらなんという大きな差…。

国を愛すると言うことは、古代神話を元に歴史を捏造して他の民族を侮蔑することではないはずです。

自ら犯した罪を、他人に擦り付けて卑怯な頬かむりをすることでもないと思います。

ちなみに私のhp.をお読みになって下さっている方の中に
もし未だに「南京大虐殺否定」をされる方がおられたら
まずはこの、お薦めhp.(下記*)を御購読することをお薦めします。

後、それでも尚「南京大虐殺存在否定」を主張されるのであれば、このhp.に反論を試みてください。

(*http://plaza25.mbn.or.jp/~hinode_kogei 同上)

只感情的になって、歴史的事実をリサーチしようとも試みず
“教祖”を盲信して
「なかったなかった」と騒ぎたてるだけでは、なんの進展もありませんよ。

あくまで私見ではありますが、このhp.作者は小林よしのりに対する感情的嫌悪感のみで
「ゴーセン」を攻撃しているわけではありませんし、私もその意見を
“教祖様” の御箴言と奉っているわけではありません。

あまりに攻撃的な表現をしすぎるがゆえに
その表面的な部分のみが余計な引っかかりになって
大切な主旨までが伝わりにくくなるという傾向がやや見受けらるし

時にはそれが原因して
大きく誤解されやすいという欠点も確かに見受けられるとは思うのですが
(評論してゴメンナサイ長田さん)。

かく言う私も時には攻撃的感情的発言によって、
貴重な友人関係を失ったりしたのですが…。

しかし一体誰がこのhp.の論証と掲載された証拠文献、記録に対し反論できるのでしょうか。

もしそんな人がいて、悪意による無意味な中傷じゃあなく
(そんなことをしたらおそらく大やけどをしますが)
このhp.制作者、長田氏に堂々と持論で議論を挑み、結果もしも彼を論破できるのであれば
私はすぐにその反論者にも賛同します。

そして長田氏にしても、論破されたことに或いは傷つくかもしれないけれど
やはり新たな真実を知ることに大きな喜びを見いだすはずだと私は思うのです
(お会いしたこともないのに又、評論してゴメンナサイ)。

繰り返しになりますが、だって私は長田さんや、彼のhp.信者じゃあないんですから。

しかし結局、私がこのhp.を誰彼かまわずに推すのは
こhp.の主旨の中に大きな矛盾点を見つけられない

すなわち「南京大虐殺を否定する人」のhp.よりも真実を語っていると認識した結果 なのです。

私は大きな興味を持ってお聞きしたいのですが

「南京大虐殺を否定する人」よ。

最初に、誰でも納得できる、その根拠をお示し下さい。

前述のごとく、小林よしのりの理論なんかはすでに破綻しています。

そして積極的否定ではないにしろ、未だ疑問を持っている人へ。

もしそれが事実あったのだとしたら
貴方はその被害者にどのような言い訳するつもりですか?

そして、もし貴方がその被害者であったのならば

小林よしのり的戦争弁護論をどのように感じると思いますか?

「日本軍にも良い人はいた」

そんなことは、余計な教授されるまでもなく当たり前の理論です。

しかしそんなことよりも、問題は被害者の癒されることない苦悩であり悲しみなのです。

私にも少数ではあるけど台湾の友人がいて、台湾人は比較的親日的であるという事実も知っています。

あるいは当時台湾方面の統治を任された日本軍指導者が人格者で
日本軍による非道行為もなかった(少なかった?)というのも全く考えられないことではないのですが…。

しかし当時の日本政府が朝鮮韓国の両国を植民地化して日本固有の土着信仰「神道」を押しつけ
姓名を日本名に(強制的に)変えさせ、日本語を(強制的に)国語としたのも
歴史的事実ではあるのだから。

もし貴方がその立場だったら、逆の立場だったら

韓国朝鮮名を強制され、親からもらった自分の本名を蔑まれ、あざ笑われ

時には暴力的手段によって母国語を禁止されたとしたら

信じてもいない宗教を押しつけられ、頼みもしないのに再教育を強要され…

さあ貴方はそんな時、どんな感情を持つのでしょうか。

或いは、偶然にそこを通りかかっただけで、強姦されなぶり殺されたとしたら

貴方の愛する父母が、夫や妻や子が、兄弟姉妹家族が、友人が、隣人が、知り合いが、罪なき人々が…。

残念ながら証拠が揃いすぎているのです。

繰り返し、私も信じたくはなかったし、できれば否定したかった

この、同胞による歴史的汚点を…。

話を最初に戻しますが「戦争論」で嘘ばかり書いて、隣国の人間を蔑称で呼び侮辱して
我々に取り去りがたい嫌悪感を与えた人間が書いた書物などは、やはり信じられない。

その著書「台湾論」は本当にちゃんと台湾のことを調べて書いたのだろうか。

都合のいい話だけを適当につなぎ合わせて、好き勝手に捏造しているだけではないのか。

前著「戦争論」に強烈な前例があるだけに疑わざるを得ないというのが人情ではないだろうか。

友人のくれたメールの論旨に反論しますが

ヒトラーもスターリンもチャウシェスクも最近のミロシュビッチにしても
その強気な外交で“英雄”と当時は賞賛されたのだけど

結果、一体何人の生命が彼らの“英雄的行為”によって奪われたのだろうか。

河野さんの外交手腕を弁護する気はないけど
その弱腰のせいで酒の席であざ笑われたとしても

多くの若い人間が無意味に殺されるよりは数倍良いのではないのですか?

わざわざ外国まで行って
鉄砲担いで、なんの恨みも持たない人間同士殺し合う

そんなのが誰かうれしいのですか?

政治家の悪口言って酒飲んでいる方が遙かにありがたいことだとは思いませんか?

読者の皆様、どのように思われますか?こんな私の質問を。

なぜ「支那人」がいけないか?

相手がいやがるから、当たり前のことじゃあないですかそんなの!


私には、数多くの日本の方々、時には知的だと言われる方々までが
この手の人種差別発言に寛容なのが本当に情けないのです。

前回も書きましたけど、ハンガリーにおけるアジア人全体に対する蔑称「チンチャン」

これで実感がわかないのなら

こんなのはいかがですか?「シャルガ クチャ」。

日本語に訳すと「黄色い犬」。

誤解を恐れて補足しますが、大多数のハンガリー人は人種差別主義者ではありません。

くだらない輩はどこにでもいますが
問題は、それに対し無意味に寛容な周辺なのです。

これにはいつも苦い思いをさせられるのですが。

日本も同様です。

米国における代表的差別語「ニッガー」。

例えばある政治家が、この蔑称発言を公の席でして

「言ってる側に別に悪気はないんだし、日本語に訳せば“黒ちゃん”

可愛いらしい愛称じゃあないですか」

なんて発言を滞米中にして御覧なさいよ。

間違いなく刺されますから、ニューヨークあたりで。

「チンチャン、ニッガー、支那人」

言っている側の悪意云々の問題じゃあなく、言われた側の「心の傷」が問題なのです。

そして言われた側の「心の傷」は回数を重ねられるほどに憎悪を増し

結果暴力に、そして戦争への導火線に発展するのですよ。

もう言い加減理解してください、この手の問題にミョーに寛容な人たちよ
…。

そしてこんな下らない愚劣なきっかけを日本に振りまいたのも、やはり「小林よしのり」

私にはやはり評価できない、こんな人は、絶対に。

日本人が中国人を「支那人」と、どうしても呼ばなくてはいけない理由が何かあるのですか?

やめればいいじゃあないですか、相手がいやがっているんだから。

体重を気にする妙齢の乙女を体重のことでからかったり

あるいは他人にふれられたくない身体的特徴や過去の失敗を暴き出して公の席であざ笑ったり

もっとひどいのになると身障者の人の姿形をあざ笑ったり、からかったみたり

それを立派なことだと思いますか?

そして、それらの愚劣な行為と人種差別の間に
なんらかの違いを見つけられる人がいるのでしょうか?

どうか、誰か私の疑問にお答え下さい。

人種差別に関しては又、日を改めて書き下ろそうと思っています。

私自身の体験をも交えて。

対立を扇ぐ為にではなく、あくまでもこの問題に対し(無知であるが故に)寛容な人々に対し
人種差別、それがいかに許し難く害悪なものであるかを少しでも伝えるために…。

再び補足ですが、最近ウィーンに行って、落書きの多さに驚かされ情けない思いをさせられました。

ちょっと前まで、本当に清潔で美しい建物が林立していたのですが、悲しいことです。

鋭い読者はすでにお気づきでしょう、私の言いたいことが。

あのハイダー政権、親ナチ発言をして顰蹙を買った現党首ですが

曰く「ナチスの頃は規律があって安全で清潔だった。ナチスは悪いことばかりをしたわけじゃない。」

現実は、今のスプレーの落書きで汚されたウィーンの町並みが如実に物語っています。

曰く、威圧や暴力で押さえつけて統治する時代はすでに終わっている。

…というわけで

今回はこの長い文章に付き合って下さって本当にありがとうございます。

そしてメールを下さった方々と

今回の論題の発端になるメールを送ってくれた私の20年来の友人に

心から「ありがとうございます」。


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